2019/06/13

今まで生きて来て一番辛かった1週間✨①

namecchiのブログにご訪問下さいましてありがとうございます。

仙台市内でピラティス、ヨガ、健康体操、ダンス系レッスン、エアロビクスなどの指導をしております。

Beena 主宰の滑川 恵美です。

母の死を受けとめて

自分自身、前を向くため

書くことにします。

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令和元年6月5日 23:20 母が永眠!

自分が今まで生きてた人生の中で

一番辛いと思った1ヶ月!

最も辛かった1週間を過ごしました。

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● 母が入院!

5/10(金)午後、母に電話をしました。

母の日が近かったから。

いつも忙しくしている母。

電話もすれ違いが多いのですが、その日はすぐに出たのです。

「病院に来ていたんだけどね、血液調べたら、大きな病院にすぐに行きなさいって言われて、これから向かうの…」

細く張りのない声。

「わたしは大した用事じゃないから。またね。気をつけてね。」

と電話を切りました。

母は血液検査の結果、白血病、肺炎の疑い。

軽い心不全に貧血、高熱。

即入院。

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● 告知!

5/13(月)午後、母は骨髄穿刺(マルク)

胸に針を刺しての血液検査でした。

5/14(火)、マルク検査の結果を先生から説明を受けました。

病名は急性骨髄性白血病、血液のがんです。

肺炎を併発。軽い心不全。

昔は本人にがんの宣告しない事が多かったりしましたが、今ははっきりと告げる時代になっています。

がんの宣告の方法も昔とは変わってきています。

母本人を交えて家族同伴で主治医の先生の説明を聞いたそうです。

【がん=終わった】というイメージ!

確実に治療率が上がってきているのに

いまだに死のイメージが拭い去れない……

すぐにでも側に駆けつけたかったけれど、

わたしも早期がんの手術を寸前に控えて

それは許されませんでした。

(わたしは内視鏡切除で簡単に3日で退院。)

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● 母に会いにいく!

5/17(金)

母は、熱が上がったり下がったりしながらも肺炎の治療を行っていました。

肺炎の容態が改善されなければ、がんをやっつける抗がん剤治療に踏み込めないとのこと!

抗がん剤治療を一か八かはじめると、心不全で心臓が弱っているので体がもたない危険があること!

その他諸々…

ここ数日で母とはもう二度と会話が出来なくなる可能性があるかもしれないとの連絡を受けました。

うちの長男くん帰宅後すぐに、

「バーバに会いにいくなら今でしょ!

俺、ちょっと電話してくるからさ

出かける支度しておいて!」

長男くんが電話をかけに外へ出て行った途端に

咽び泣きました……

しっかりしないとって思うのだけれど

いったん泣き出すと止まらないんです…

ダメだ!こんなんじゃ!

まぶたが腫れないように目薬を差して

アイラインを描き直して

出かける準備を進めました。

長男くんが電話を終えて…

関東組(二男くん、わたしの実弟、姪、甥)

4人それぞれに連絡をして事情を説明し

二男くんの車で宮城県まで来るように指示!

誰とどこで待ち合わせてとかまで詳しく指示していたそうです(笑)

宮城県の東北自動車道のSAで落ち合い

車二台でいざ出発!

誰が運転で疲れているから次は誰が運転するとか、そんな細かいところまで長男くんが指示してました(笑)

ちなみに長男くんはずっと運転!

(色々すげ〜!)

みんなとは久々の再会でした。

病院に着いたのは日付変わって5/18(土)。

無菌病棟への入り方もわからない状況……

いざ病室へ…

緊張……

母は眠っていませんでした。

みんな揃って会いに来たことに対し

酸素マスクの中の口もとから

「ごめんね。」

「ありがと。」

息も苦しく辛いだろうに…

一生懸命に話そうとしてくれました。

長男くんが

「みんな揃って会いに来たよ!

バーバがみんなを揃わせてくれたんだよ!」

って言ったら

ベッドをぐるりと囲むわたし達の顔をひとりひとり見回して

うん!うん!とうなづきました。

母は痩せ細り、小さくなっていて…

いつも元気に笑って、シャキシャキと仕事している姿はどこにも感じられないほどに…

小さくなっていて…

母の前では涙ウルますまいと思っていたのに

涙は滲んでしまって……

そうなると

笑うしかないと…

変なテンションに変わっていく自分がいるのでした。

そーすると、ベッドを少し起こして

冷蔵庫にあるコーラを取ってと言うと

炭酸は口の中がさっぱりするのかな?

ひと口、ふた口、ゆっくりと飲んで見せて

みんなにピース✌️したりして…

なんというパフォーマンス!

そうかと思えば次の日は熱でぐったりとしていたり……

日に日に症状が変わる中、

5/22(水)から5日間の抗がん剤治療が始まったのです。

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● 仕事に行きなさい!

輸血や熱を下げる薬だの何だのかんだの…

抗がん剤治療も始まり、

母の体には沢山の管が繋がっていました。

酸素マスク、水枕におでこも冷やしていたので

いつも熱は高い状態だったのでしょう。

わたし達は10日間毎日母に会いに行きました。

待合室から見える風景。

この8階待合室で、

トータル、

いったい何時間くらい過ごしたのだろう…

父と母の二人だけの時間を作ってあげたりしながらも、毎日行きました。

「歯磨きしたいの。」

ある日母がそう言ったとき、わたしは凄く嬉しくて!

ベッドの上で行う母の歯磨きの補助をしました。

母が、こうしたい!って欲望が出て来ることや、母にお願いされることがとっても嬉しいって思った記憶があります。

「あなたたち、いつまでいるの?」

「仕事はどうしたの?」

時々そう言う母…

時にはひとりずつ枕元に呼び、

ひとりずつ会話。

先はもう長くはないと悟ったように

苦しかろうに…

短い時間でひとりずつ個別に伝えたいこと!

時には母が今まで生きて来てやって来たことを誇らしげにはなす。

人生を振り返るようにね。

またある日は

まだやり残したことがある!

やりたいことがまだまだあるって

凄く前向き!

医療費の心配をしたりして……

そんな中、酸素マスクに付いている袋が取れた。

肺の機能が良くなっているのかな?

凄い!

母は時間がかかるかもしれないけれど、戻って来てまた仕事復帰するかもしれないと

みんなで笑って話しました。

「千恵子さん、すげ〜!」

(千恵子は母の名前です)

5/25(土)

病室が変わりました。

弟は担当の看護師さんに聞きました。

病室が変わるということは、容態が悪化して先がそう長くはなくなったからではないのかというわたし達家族の率直な不安な気持ち…

そうではないとのこと。

沢山の装置が設置されていて、前の病室が狭かった。

広い病室が空いたので。

とのことでした。

その部屋のベッドからは陸奥湾が見えて

そこに沈む夕陽がとても綺麗なんだと

母が言っていました。

病室に行くたびに

わたし達の仕事のことや

今後のことを気にかけていた母は

「私は、しばらくはこのまま入院が長引くと思うの。毎日来てくれても変わらないから。」

「仕事に行きなさい!」

そう言っていました。

5/26(日)

抗がん剤治療の5日目が終了です。

これから次の抗がん剤治療まで

経過をみていきます。

5/27(月)

「仕事に行って来ます!」

「また来るね!」

そう言って

わたし達は病室を後にしました。

母は病室から

わたし達は帰りの車の中から

陸奥湾に沈む夕陽を見て………

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② につづく

Beena 滑川 恵美

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